Think different. One more Thing…

“自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えてきたのだ。”

-アメリカの小説家 ジャック・ケルアック On the Roadより

“あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。”

– スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブスの訃報を受けて、こんな記事を読ませて頂いた。
– ジョブズ氏へ ― わたしがはじめて「当たり前」を疑ったのは… by @chibicode
この記事を受けて、僕も初めて『当たり前』を疑った経験について書こうと思う。
(とは言ってもジョブスとはほとんど関係ない内容です^^;)

復帰後のAppleのCMに起用され続けた『Think different』。
上の記事を読むまで、僕はこの言葉の意味を
『人とは違うことを考えよう。』とか
『違った角度から見てみよう。』
くらいにしか思っていなかった。
でも確かに、『当たり前を疑ってみよう。』というのは、これまでにAppleが辿ってきた道のりを思うとピッタリの言葉だなって妙にしっくり来た感じ。
それじゃ、つらつらと書いていきますか。


僕がたぶん初めて『当たり前』を疑ったのは中学の頃だったと思う。
僕は作文と絵を描くことが得意で、女のコと話すのが苦手などこにでもいる中学生だった。
当時、父親が事故でなくなったのだけれどそのコトではなく、その後の学校でのこと。

父の葬儀など諸々が終わり、僕は数日ぶりに学校へ行った。
行きすがら、出来るだけ今まで通り普通に振る舞おうと思っていたけど心配は無用だった。
友達やクラスメイトは父のことには全く触れず、いつも通りだった。
もしかしたら担任からそうするようにと言われていたのかもしれないが、少しほっとしたのを覚えている。

そんな日々もゆっくりとすぎて行ったある日、担任(国語教師)から呼び出されて行ってみるとこう言われた。
『近々作文コンクールがあるんだが、書いてみないか?』
具体的に作文の内容を指示されはしなかったが、ただのガキだった僕にもさすがにその意図は分かった。
僕の通っていた学校を含め、近隣の小中学校には定期的に『ナントカだより』(名前忘れた^^;)という生徒向けの広報誌のようなものが配られていたのだけど、そこには作文コンクールで上位になった文章が載っていた。
そしてそこで目にする機会が多かったのは、親を亡くした生徒や児童が書いたものだったんだよね。
私利なのか、それとも親を亡くしたことを整理させようと言うオトナの思いやりなのか…。
どちらにせよ、当時の僕にとってのその言動は『思いやり』なんかじゃなくて他人の『思い上がり』でしかなかった。
ぼくは作文なんて書きたくなかった。
それでも僕は『分かりました。』と言った。
きっと今までそのナントカだよりで目にしてきた作文を書いた子供たちも僕と同じように言われ、同じように『分かりました。』と言ったんだろう。
そして期待された通りに期待された内容を書く。
もしかしたら、本当にそれで救われた生徒もいたのかもしれないけど、きっとそれは教師の『当たり前』の対処と生徒の『当たり前』の行為だったんだと思う。

そして僕はこのとき、生まれて初めてその『当たり前』を疑った。

数日後か数週間後か覚えていないけれど、僕は書いてきた作文を担任へ手渡した。
それに一通り目を通した彼が言った言葉は残念だけど今でもはっきりと覚えている。
『本当にこれでいいのか?』
僕は『はい。』とだけ答えた。
そして僕は教師という存在を嫌いになった。
作文に何を書いたのかは全く覚えていないが、父のことを一文字も書かなかったことだけは覚えている。
僕は見せものになるのは嫌だったし、親を亡くしたかわいそうな子だと知らない人に思われるのはもっとゴメンだったんだ。
多感な思春期に病気でもなかった親を突然亡くした子供に、数ヶ月で気持ちの整理をさせようなんてかなりムリがあるんじゃないんだろうか?
そいうことは時間がゆっくりだけど優しく解決してくれるものじゃないかと思う。
だって、この頃になってようやくこうして書けるようになってきたくらいだから。
でも、今さらその先生を責めるつもりは全くない。
だって彼らはきっと『当たり前』なことを『当たり前』にしただけだから。
悪気なんてなかったんだと思うんだ。
あまりいい想い出とは言えないけれど、その後の僕にとってはこのことが良い経験になった。
“世間の『当たり前』な感覚だけで、
辛い想いをしている人に接してはいけない”
ってコトを学ばせてもらったんだって思う。
だから僕はそういった人と向き合った時はすごくいろんなコトを考える。
出来るだけ『当たり前』な感覚を排除して、自分なりの考えを自分なりの言葉にして話してみることにしてる。
もちろん相手がそのとき思っていることすべてを分かってあげることは出来ないけど、当たり前な答えよりもうまく伝えることができるように。

なんだか、ジョブズのやってきたことに対するエントリなのに、あまりにみみっちすぎるエピソードを書いてしまったなぁ。。> <;
それでも、今の僕を形づくる上では大きなポイントだったんだなって思う。

人と人との関係以外でも僕はよく、いままで当たり前にやられてきた当たり前なやり方に疑問を感じることが多い。
もちろん、それがスムーズでスマートな方法ならばいいんだけど、そうじゃない場合は出来るだけ改善しようとしてきた。
これからもそうしていくと思う。
それで厄介がられることもよくあるんだけど、もうこれは指針とかえらそーなもんじゃなくてクセだからしょうがない。
どうしても気になっちゃうんだよね。
もっと簡単でスマートな方法があるのに、すごく面倒で時間がかかって結果が悪くなるようなやりかたを続けるのは精神的にムリなので…。

相変わらずまとまりのない文章になってきちゃったのでこの辺で終わりにします。

そして最後に。

親愛なるスティーブ・ジョブズさま。
きっと僕は一生かけて、例えばあなたより千年長く生きたとしてもアナタのような存在になることは出来ないでしょう。

でもね、
…One more Thing…

まるで子供がいたずらな秘密を明かすかのように発せられたあなたのこの言葉の後には、
いつだって興奮とドキドキと、浅はかな期待と、
そして僕らがまだ見ぬ未来が美しく描かれてきた。

だから、

…One more Thing…

僕はその後に続いて描かれる一部に…未来のカケラくらいにはなりたいと思うんだ。
常にThink differentでありつづけながら。

スティーブ、ほんとうにありがとう。
でもね、

未来はまだ終わっちゃいないんだ。
とりあえず、今夜は久しぶりに飲みにいくことにするよ。

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