夢について僕が知っているいくつかのこと。

夢、夢って、
あたかもそれが素晴らしいものように、
あたかもそれが輝かしいもののように僕らはただ賛美してきたけれど
実際のところどうなんだろう?

何十万人もの命を一瞬で奪い去った核爆弾や細菌兵器。
あれだって最初は、名もない化学者の純粋で小さな夢から始まっているんじゃないだろうか?

そして、今また僕らは僕らだけのしあわせの為に
科学を武器に生物の命までをもコントロールしようとしている

一体どこまで行けばいいのだろう?
どこに行くというのだろう?
一体何ができるのだろう?
何をすべきなんだろう…

Everything is made from a dream / Mr.children 〜間奏より〜

子供に向かって多くの大人たちは『夢は何?』『夢を持ちなさい』と言う。
そしてある年齢を過ぎた頃、同じ子供にこう語りかけるのだ。
『現実を見なさい』
『いつまでも夢ばかり見るな』と。

子供が見た夢の種を摘み取ろうとするのは、得てして自らの夢を捨ててきた人間だったりする。

 
 

それでも夢は前に進む原動力にもなるし、前向きにもさせてくれる。
あなたがもし暗闇の中でもがいているのなら、その闇に一筋の光を与えてくれる心の拠り所にもなるだろう。
それは悪い事じゃない。たとえ叶わない夢だとしてもひとときの助けになるなら素晴らしいじゃないか。

一方で、そんな夢に潰され不本意な一生のまま最期を迎える人も少なくはない。

みんながみんな夢を持つ必要なんてないし、ましてや強制されて持つようなものでは決してない。

想像してみてほしい。

もしも、あまねくすべての人が有意義な夢に向かって日々無駄なく過ごしてるような世の中だったらどうだろう?
それはまるで、世界全体がある一定の作業をするためだけに作られた感情を持たない機械のようだ。
僕は少し新興宗教のような気持ち悪ささえ感じてしまう。

生き方はそれぞれだ。

夢に向かって邁進する人がいてもいいし、家族が元気でいられることを最善として仕事はお金のためと割り切った生き方でもいい。
ただ平穏だけを願い高望みしない、そんな風に暮らしていくのも良いだろう。

歯車を回すには、回す人、歯車を作る人、壊れたら直す人、そして歯車がいる。
どれも欠けたらうまく動かないのだ。
金型さえあれば歯車は比較的簡単に作り直せるし、確かに換えもきく。
でも、回す人だって換えられない訳じゃない。

そこにあるのは向きか不向きかだけなんじゃないだろうか?
そこにあるのは決して絶対的な優劣ではない。

誰もが聖者になれるのだとしたら、そもそも聖者に価値などないと思うのだ。

僕らはただ、自分の声に正直になればいい。

心にわだかまりを与えるものを捨てて、心地良いと感じられる事をひとつひとつ選んでいけばいい。
感じ方が変わって来たら、それは方向を変えるタイミングなのかもしれない。

もう一度言おう。
要は人それぞれだ。
決してあなたの幸せを他の誰かに選ばせてはいけない。

僕がどう生きたいのかは僕しか知らない。

そして、あなたにとって何が幸せなのか?
その答えをもう、本当のあなたは既に知っているはずだから。

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